〜悪役編〜

ファイアはゲーム・アニメ大好きっ子です。
とはいえ、最近は無理してやりたい・見たいと思わなくなったのも事実なのですよ。
昔は、ネトゲやりながら、深夜アニメよく見てましたねぇ。
今は、夜更かししてまでやりたいと思わなくなりました。年食ったかねぇ・・・
 
今回はその理由を考えてみようかなと思います。
見なくなってきた理由の一つとして、見終わった後に見てよかったと思える作品が減ってきたのかなと思うのですよ。
 
理由のひとつとして悪役があります。
話を盛り上げる存在として悪役の存在は不可欠ですが、やっぱりいろいろタイプありますよね。
 
悪役だから悪いことするタイプ、復讐や生存など、悪役にも事情のあるタイプなど
いろいろあります。
その中で、どのタイプが一番凶悪なのかということを考えると、
“愉快犯型”の悪役がもっとも凶悪なのかなと思います。
 
愉快犯だからこそ、悪の手法にも凝るわけですよ。
例えば、映画「ダークナイト」で、悪役ジョーカーは、正義感溢れる検事が悪に手を染めるようせしめます。
これに限らず愉快犯型の悪党は、相手を直接ではなく周囲の人間を狙ったり、相手の立場を貶めたりと、心にダメージの与える手段を選ぶわけですよ。
最近こういう悪役も増えてきましたが、見ていて結構不快なものですよね。
 
本来、主役が悪役を倒す姿に爽快感を覚えるものですが、ここを中途半端にしてしまう作品が多いと思うのです。
 
これが、
昔の作品に多い“悪役だから型”、要は悪役としての掘り下げの足りないタイプだと、倒すのも相手が“悪だから”で片付きますし、
悪役にも事情がある“悪役にも事情があるんだ型”だと、程度に違いはあれ、悪役もやっていることを理解した上で悪をなしているので、倒しても不快感が残ることは少ないです。
 
しかし“愉快犯型”は、悪が人の性みたいな開き直りをやって退場することが多いものだから、さらに中途半端感が残って、見てよかったと思うことが少ないと感じるんですよ。
 
愉快犯はただ倒すだけでは、根本的解決にならないと思うのです。
自分がやってきたことが、どういうことなのかを理解させて、後悔なり、反省なりをさせた上で倒さないと中途半端だと思うんです。
 
しかし、これがその辺を抑えて倒すと見終わった後、見てよかったなって思えますね。藤田和日郎先生はその辺がわかってますね。
からくりサーカス」アニメ化しないかな、よほどの神作画じゃないと表現しきれないけどさ。